このページでは元AV女優【原紗央莉】の、むちむち脱衣ヌードグラビアエロ画像をお届けします!
原紗央莉の情報
原紗央莉のプロフィール | |
名前 | 原紗央莉 |
ふりがな | はら さおり |
別名義 | 加藤 まい(旧姓)松野井雅、七海 まい |
生年月日 | 1988年1月1日 |
身長 | 165cm |
スリーサイズ | 85 – 58 – 85 cm |
カップ数 | Eカップ |
松野井 雅は、日本のタレント、女優。過去には七海 まい名義でアイドルとして活動。その後、原 紗央莉に改名、グラビアアイドルとして継続、さらにAV女優としても活動していた。2014年以降、現在の芸名で活動している。
来歴
父方の祖父がドイツ人。
1988年1月1日生まれ。母親が『NHK紅白歌合戦』を見ている時に陣痛が来て生まれた。プロフィールは全て事実だという。趣味はホットヨガ、ゴルフ、ゲームで、特技はバリ舞踊とダンス。
弟が二人いる。
小学三年生の頃好きで見ていた特撮作品は『ビーファイターカブト』。
大の猫好きであり、後述の出演映画である『細菌列島』の舞台挨拶で猫を2匹飼っている事を公言している。又、「SAORIチューBE」に原が飼っている猫が登場。白猫が「ミロ」、黒猫が「クロノ」で共に雑種。
2010年3月24日、スカイパーフェクTV!の「スカパー!アダルト放送大賞」の女優賞を受賞する。
最初のAVに出演した際は、過度の緊張のために急性胃腸炎で入院したとコメントしている。
フィンランド政府観光局公認フィンランドサウナアンバサダー。2022年10月よりSpotify独占配信ラジオ番組「サウナラジオ松野井雅のSNACK37」でパーソナリティーを務める。
人物
アイドル時代
中学2年の時に、広島から上京。2004年4月より七海まいの芸名で活動。当時の所属事務所はあむ・はうす。TVアニメ『マシュマロ通信』のオープニングテーマや、グラビアアイドルとして主に活動をした。映画出演では『ハルウララ』にてヒロインである宗石美佳役としてデビュー。また、同映画の完成記念に高知競馬場内に常設されたギャラリー「ハルウララ・インザムービーギャラリー」のプレオープン、グランドオープンの両イベントに参加した。その後も散発的な活動はあったものの堀越高校卒業を機に一度は引退。その後、2年ほどのブランクを経て、原紗央莉に改名後も活動を継続していたが、2008年にAVへ進出。AVデビュー
2008年11月25日、この日発売の雑誌『sabra』内で当時自身が連載していたコラム「SAORIチューBE」、及び同日付の自身の公式ブログにて、2009年1月22日にソフト・オン・デマンドからAVデビューすることを公表した。このAVデビュー表明により、それまで1日200件程度しかなかった公式ブログのアクセス数が、1日1万件と爆発的に増加したという。また『sabra』では、前述の「SAORIチューBE」での告白に加え、初のヌードグラビアを掲載。ただ、バストトップとピュービックヘアは星のマークで隠されていた。その後、同年12月4日発売の初ヌード写真集「サブラDVDムックTHENUDE!!原紗央莉写真集」ではバストトップとピュービックヘアも披露された。同日、ソフト・オン・デマンドのサイト内に、原紗央莉特設サイトが開設。原自身がキャスターとしてニュースを伝えるという設定で、不定期にイベントの告知やイメージ映像などが更新されてきたが、2009年1月8日以降更新がなされていない。
2008年11月29日、ソフト・オン・デマンドが推進している「STOPSTD」キャンペーンの啓蒙広告のモデルとして、東京・渋谷の109近くに巨大広告が掲示された。
2008年12月7日、同月4日に初ヌード写真集「サブラDVDムックTHENUDE!!原紗央莉写真集」が発売されたのを記念して、東京・秋葉原の書泉ブックタワーにて握手会を開催した。その際、「最初は抵抗感と罪悪感があったが、やっているうちに楽しくなった」や、「西麻布の交差点で、コートの下は全裸という状態で、ゲリラ的に撮影を決行した」など、撮影に臨む心境の変化や撮影時のエピソードを披露した。また、最も気に入っている写真は「テープで口をふさがれているカット」とのこと。これら一連の発言からMの気があることがうかがえるが、本人も前述のお気に入りの写真についての話の中で、「私はMなので、この写真が気に入っている」と、自らMであることを認めている。
AVデビューを公表して以来、AV出演に関しての質問が多数寄せられているとのことだが、これらに対して原は2008年12月2日付の自身の公式ブログの中で、「2009年1月22日のデビューに向け、そしてデビュー以降も、さまざまな雑誌・メディアで話すつもりなので、ブログでのコメントは差し控える」旨のスタンスをとっている。また、「雑誌の発売日などについてはこまめに告知する」ともしている。その一方で、「(ブログを)チェックしていただけたら、今後ちゃんとお話できると思う」といった含みのある発言もしている。にも関わらず、AV出演に関しての質問は引き続き多数寄せられているようで、2008年12月15日付の自身の公式ブログの中で、再び前述のコメントを繰り返している。
AVデビュー作は2008年11月25日以前に収録・撮影を済ませているが、『sabra』での告白の中で、AV撮影時のエピソードがわずかながら紹介されており、それによると男性経験が少ないこともあって、あらゆることが初めて尽くしで、特に初めて潮吹きを経験するに至っては驚きのあまり号泣したという。
前述の男性経験については、「THENUDE!!原紗央莉写真集」内にて本人が2人の男性との経験談を綴っている。初体験は高校3年の夏。相手は同級生で、場所はその同級生の家。その同級生とは程なくして別れた。もう1人は、フリーター時代にバイト先のバーに客として訪れた10歳年上の男性だった。交際は順調で相手から求婚されるまでに発展したが、19歳の冬に芸能界への再デビューを目前に控えていたことを理由に交際を解消。
芸能界再デビューからAV出演への決意に至る経過について、『sabra』および公式ブログの記述を総合すると、2年にもおよぶフリーター生活に訣別しようと決意したのは2008年1月の自身の成人式であった。大学や専門学校で勉強していたり、社会人として定職に就いていたり、家庭を持っていたりする周りの同級生に刺激を受けて、再デビューを決意。一方、同時期にAV事務所から、AV出演を前提に声をかけられ、大いに悩んだものの、熟慮に熟慮を重ねて納得の上でその事務所に所属することを決断したという。それは2008年春頃のことであった。
AVデビュー前では異例の『特命係長只野仁』に出演した。
AVデビュー後
2009年1月22日、『芸能人原紗央莉奇跡のAVデビュー』でAVデビュー。同作は各AVランキングサイトで連続1位を記録、1万本売ればヒットといわれるAV業界で10万本を売り上げる大ヒットとなった。同作を堀江貴文が自身のブログで、絶賛し話題になった。2009年、出演映画『細菌列島』の主題歌「私のお口が世界を救う」でCDデビュー。同年12月11日、告白本『本名、加藤まい私がAV女優になった理由』(集英社)を発表。同じ12月11日に、ケータイ写真集「ネコ科セクシー系原紗央莉」(ソニーデジタル)もリリース。
2009年10月、自身のブログ及び『週刊プレイボーイ48号』(集英社2009年11月16日)で「美人時計」(写真撮影は堀江貴文)への出演が報じられたが、実現はしていない。後日、『週刊プレイボーイ』は、美人時計側の判断で写真の配信を見合わせている旨と記事内容とは異なる可能性があることをお詫びと訂正記事として伝えている。
2010年1月25日、屋外で全裸の写真集の撮影をしたなどとして公然わいせつ罪で警視庁保安課に写真を撮影した篠山紀信と共に書類送検された。
2010年、『ユリ子のアロマ』公開初日の舞台挨拶に登場し「主人公に恋い焦がれるアヤメ役を演じたのですが、体も密着させちゃったりと、結構、激しい女の子役。でも、一途なところや猪突猛進なところは私に通じるものがあった」と役柄と自身との共通点について語った。更に、映画同様、匂いフェチであることも明かすと「枕の匂い、加齢臭が好きなので、ちょっとユリ子さんの気持ちがわかった」と述べた。
2011年3月10日、体調不良で倒れ、同月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により精神的ダメージを受け、弁護士を介して契約解除を申し入れている。
2014年、再出発
2014年4月、芸映に所属し松野井雅の芸名で再出発。名付け親はリリー・フランキー。活動空白中の2012年10月に50歳の男性と結婚したこと、以前の芸名は使わない約束になっていることを明かしている。2023年2月11日、インスタグラムを更新し、8日に双子の女児を出産したことを報告。