このページではフィギュアスケート選手【浅田舞】の、着衣巨乳や水着グラビア画像をお届けします!
浅田舞の情報
浅田舞のプロフィール | |
名前 | 浅田舞 |
ふりがな | あさだ まい |
生年月日 | 1988年7月17日 |
身長 | 163cm |
浅田 舞は、2000年代に活動していた日本のフィギュアスケート選手。現役引退後はスポーツキャスター、タレントとして活動している。マネジメントはヒーローズマネジメント株式会社。 女子フィギュアスケート選手の浅田真央は実妹。
来歴
名古屋市立高針小学校、名古屋市立高針台中学校、東海学園高等学校卒業後、中京大学体育学部体育科学科へ進学。
長い手足を生かした優雅な演技が持ち味で、それを生かしたスパイラルシークエンスが得意技とする。ジュニア時代は5種類の3回転ジャンプを跳べる数少ない選手の1人として頭角を現した。2002-2003シーズンには、全日本ジュニア選手権と世界ジュニア選手権で3回転アクセルにも挑戦した。2004-2005シーズンの怪我からジャンプが不調になっている。また、2007-2008シーズンから厳格になった判定によりルッツはエラーエッジ判定を受けるようになった。
2005年3月、第2回国際モードルオーディションORIBEでグランプリに選ばれ、およそ1年の間モデルとしても活動。2006年には所属していたホリプロを退所した。テレビのレポーターなどを務めることがあり、GETSPORTS(テレビ朝日系)では「MAIFOCUS」としてアスリートを紹介するコーナーを持っている。2010年9月12日の放送ではシンクロ選手の乾友紀子を特集。自ら競泳水着姿となりシンクロの演技指導を受けた。
2014年2月7日に放送された『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)で、普段はノーパン派であることや、自宅では「ヨレヨレのズボンとヨレヨレのTシャツ」で、仕事以外の時は「化粧もしない」ことなどを告白した。
趣味は読書。
プライベートでも広島に遠征に行くこともある広島東洋カープファン。中でも、新井貴浩[注1]のファンを公言している。2016年9月11日、フジテレビ系『スポーツLIFEHERO’S』出演時、前日(9月10日)、広島東洋カープのリーグ優勝を見届けに観戦した事を、翌日番組から新井貴浩選手に伝えたところ、新井貴浩選手がお礼のコメントを述べた。浅田はVTR明けに嬉し涙を流し、最後は「VTRを下さい。」と語った。
妹とは、スケートツアーやテレビやイベントで数多く共演している。もっとも、妹が自分より上位に入賞する事が多くなった時期には、一切の会話がなくなるほど不仲だったという。
『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)の企画で社交ダンスに挑戦。俳優の進藤学とペアを組み、2021年3月、デビュー戦となる「第34回京都市ダンススポーツ競技会」で優勝。同年5月、全日本選手権に初出場し、準決勝進出。同年9月の全日本では6位。2022年4月の全日本で6位。同年10月3日、ダンス留学でイタリアへ行くことを明らかにした。
さらに2023年にはタンゴを学ぶため、アルゼンチンにも留学に出かけている。
人物
7歳の時にスケートを始める。2001年まで名東フィギュアスケートクラブで門奈裕子に師事。2001年からはグランプリ東海クラブの山田満知子と樋口美穂子の指導を受ける。
2002-2003シーズンの全日本ジュニア選手権で2位となり、世界ジュニア選手権に出場。国際大会初出場ながら、予選2位。フリースケーティング(フリー)では3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションジャンプを不完全ながら着氷し[注2]、総合4位入賞を果たした。2003-2004シーズン、ジュニアグランプリ(JGP)スロバキア大会でJGP初優勝。世界ジュニア選手権では、試合直前に食あたりを起こしながらも2年連続の4位に入った。
2004-2005シーズン、野辺山合宿の練習中に他の選手と衝突し、顔を4針縫う怪我を負った。
2006年からアメリカロサンゼルスに練習拠点を移し、ラファエル・アルトゥニアンに師事。同年10月のキャンベルカップ団体戦でフリーを滑り、参考記録ながらパーソナルベストを大きく上回る103.27点を出した。この2006-2007シーズンからISUグランプリシリーズに参戦した。
2007年にはコーチをナディア・カナエワ(アルトゥニアンのアシスタント)に変更。2007-2008シーズン、澤田亜紀の欠場で急遽NHK杯に出場するが、浅田も風邪をひいており、会場練習ができないままSPに臨むこととなった。フリーは熱が上がったため棄権。全日本選手権では12位だった。
2008年から拠点を名古屋に戻した。オフシーズン中にジャンプが跳べなくなり、6月から本田武史の指導を受けて立て直しをはかる。全日本選手権では15位となり、それにより、2009年度では、シニア強化選手指定外にされる。中部フィギュアスケート選手権大会を棄権した後、フィギュアスケート競技会へは出場しておらず、フィギュアスケート競技と並行してのアイスショーやイベント等への出演、スポーツ番組のコメンテーター、スポーツキャスター、レポーター、タレント等での活動となる。
2014年2月のソチオリンピックでは、主にフィギュアスケートのコメンテーターとしてテレビ出演。女子シングル種目では、実妹の真央がSPでジャンプミスを連発し16位と大きく出遅れてしまいメダル絶望となったが、フリーでは女子で唯一3回転アクセルを成功させるなど3位と挽回し、総合で6位入賞を果たす。真央のフリー演技後、NHKの番組で「本当は(真央に)『大丈夫だよ』って言ってあげたかったが、喝(かつ)を入れるために敢えて叱った」と涙ながらに告白していた。
これまで、引退について明確にしていなかったが、2010年に引退していることを話すようになっている。