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竹下景子の情報
竹下景子のプロフィール | |
名前 | 竹下景子 |
ふりがな | たけした けいこ |
生年月日 | 1953年9月15日 |
身長 | 157cm |
竹下 景子は、日本の女優・タレント・声優。本名:関口 景子。 愛知県名古屋市東区出身。東京女子大学文理学部社会学科卒業。アイ・バーグマン所属。父は弁護士の竹下重人。夫は写真家の関口照生。長男は俳優の関口まなと。次男は関口アナン。身長157cm。
来歴
出生から学生時代まで
愛知県名古屋市東区生まれ。父親の重人は国税局の職員で名古屋国税局から国税庁に転勤となったため、4歳から一年間東京都中野区と板橋区で、5歳から10歳までは東京都東村山市で育った。2009年「東村山市しあわせ大使」に就任した。小学校4年の時、父が国税庁を辞め弁護士になるための勉強を始めたため、公務員住宅には住めなくなり、名古屋に戻り、以後高校卒業まで同市緑区で育った。母は名古屋市東区の出身。
東村山市立南台小学校から転校、南山中学校・高等学校女子部、東京女子大学文理学部社会学科卒業。中学・高校では演劇部に所属。
芸能界へ
高校1年生の時、ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のイベントに一般リスナーとして参加した際、パーソナリティを務めていた俳優の天野鎮雄にNHKの『中学生群像』(『中学生日記』の前身)を紹介され、ドラマデビューを果たす。共演した三ツ矢雄二や戸田恵子とは名古屋時代からの幼馴染で50年に渡る友達でもある。大学進学で上京後、三船プロに所属して本格的に女優として活動を始める。1973年、NHK『波の塔』で本格デビュー、以後多くのテレビドラマにレギュラー、ゲスト出演する。1975年、黒木和雄監督の『祭りの準備』に新人で主演した江藤潤の恋人役として出演、ヌードを披露する。『秘密戦隊ゴレンジャー』のモモレンジャー/ペギー松山のキャスティングは、当初竹下で内定しており本人もやる気だったが、当時竹下がCM契約していたお菓子のスポンサー会社が番組のスポンサーと別会社であったため、その話が流れたというエピソードもある。(番組プロデューサーの東映・吉川進が2010年6月26日に開催されたトークショーにてその秘話を明かしている)[信頼性要検証]。
1976年10月からは『クイズダービー』のレギュラー回答者として出演して「三択の女王」と呼ばれ、人気を獲得。
1977年『女の河』『天の花と実』などに出演。同年、政治家・荒舩清十郎が雑誌の企画で対談し、「息子の嫁さんにしたい」と言ったところから「お嫁さんにしたい女優No.1」と言われ、人気が沸騰。1970年代から1980年代にかけては最も多忙な女優の1人となった。
1978年の『黄金の日日』に準レギュラー出演以降、大河ドラマにも数本出演。
春には初のレコード「結婚してもいいですか」を出す。
また映画『犬笛』で、原田芳雄率いる犯罪グループに加担しながら裏切って輪姦されたあと、半裸で首だけ出して雪の中に埋められる女医役を演じて話題となる(直接の輪姦描写はなく、雪の中も下着姿)。
映画スターに育てようと、名乗りをあげたのは三船プロの親筋にあたる東宝。用意されたのは、アイドル用のプログラムピクチャーではなく、監督岡本喜八と脚本倉本聡の両鬼才初顔合わせに仲代達矢以下のオールスターを並べたSF大作『ブルークリスマス』の主演だった。同時に同じ勝野洋とのコンビで日本テレビから『姿三四郎』も東宝製作で放映された。映画の方はヒロインを含めた世界同時大虐殺で終わるショッキングな政治SFであり、まったくの不入りに終わった。
1979年以降、『犬笛』『ブルークリスマス』と続いた(その前の『雨のめぐり逢い』も犯罪劇である)激しい非日常路線は軌道修正される。岡本監督への『英霊たちの応援歌』への連続出演などを経て、山田洋次のもとで、ようやく身近な世界で優しく可憐な持ち味を発揮する。
『男はつらいよ口笛を吹く寅次郎』は、小林信彦らにシリーズ後半の最高傑作と賞賛される成果となり、寅次郎との思いがすれ違いで終わるマドンナを好演。好評を受けて、シリーズでは唯一人、別々の役で三度マドンナ起用され、テレビでは『北の国から』へも起用されて代表作となる。岡本、山田、倉本といった巨匠に連続指名を受けたことで、女優業はひとつの軌道に乗った形となる。市川森一との協業も続く。ただ、不思議と映画主演に縁がなく、『雨のめぐり逢い』『ブルークリスマス』『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』などはいずれも共同主役だがクレジットトップではない。
『祭りの準備』でヌードになったが、「天の花と実」では拒否。だが、その後も清純なイメージを失わなかった。
熱烈な中日ドラゴンズファンとしても知られ、2005年のナゴヤドームでの横浜DeNAベイスターズとの開幕戦では始球式を務めた。
2005年から国際連合世界食糧計画WFP協会の親善大使を務める。
2009年1月17日、神戸市で行われた、阪神・淡路大震災の追悼イベントに来賓として出席し、詩を朗読するなどしていたが、その最中に、開催場所の神戸情報文化ビルで、不審火と見られる火災が発生し、来場者と共にビル外へ避難する騒動に巻き込まれた。
2011年1月26日、2年の任期で京都国立博物館の初代文化大使に就任した。
2015年5月3日、日本大正村第3代村長に就任。
名古屋(愛知県)出身の芸能人として
1990年代頃まで、名古屋(愛知県)出身の芸能人は出身地をあまり表に出さずに活動する人が多かったが、名古屋出身であることを早い時期から公言していた。レギュラー解答者時代の『クイズダービー』では、大橋巨泉から名古屋ネタをよく振られたり、『クイズダービー』以外のバラエティー番組に出演する際にも、度々流暢な名古屋弁でのトークを披露したりするなど、パーソナリティーのひとつとして広く認知されてきた。名古屋いじりの元祖ともいえるタモリの番組へのゲスト出演も多い。また、2005年日本国際博覧会では、長久手日本館の総館長を務めた。
NHK連続テレビ小説、第74作目として放送された『純情きらり』は愛知県岡崎市が主な舞台の1つなった作品であり、竹下はヒロイン・有森桜子の母、マサを演じた(語りも兼任)。なお、竹下はこの他にも『ぴあの』で「ヒロインの姉」、『ゲゲゲの女房』で「ヒロインの姑」、『わろてんか』と『おかえりモネ』で「ヒロインの祖母」をそれぞれ演じている。
『クイズダービー』の出演
女子大生時代の頃から、『クイズダービー』の3代目4枠レギュラー解答者として出演、その後約16年間務め、はらたいら(75%・3/4)に次ぐ正解率だったことで有名(厳密に言えば2位は黒鉄ヒロシの2/3だが出演は1年足らず)。特に三択問題での正解率がはら以上に高かったため、「三択の女王」と呼ばれた。出産時は、宮崎美子・市毛良枝・原日出子が代役を務めた。家族
1984年4月21日、銀行のポスター製作で知り合った15歳年上の関口照生と結婚。1986年に長男、1988年に次男を相次いで出産した。
受賞
1978年-エランドール新人賞
1982年-芸術祭優秀賞(『モモ子シリーズI12年の嘘』)
1993年-第17回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞(『学校』)
1993年-第6回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞(『学校』、『望郷』)
2000年-アジアTV祭主演女優賞(『夫の宿題』)
2007年-紀伊國屋演劇賞
2019年-文化庁長官表彰