このページでは、水野美紀(みずの みき)のエロ画像を独自に高画質化して89枚紹介しています。
水野美紀の情報
水野美紀のプロフィール | |
名前 | 水野美紀 |
ふりがな | みずの みき |
生年月日 | 1974年6月28日 |
身長 | 168cm |
水野 美紀は、日本の女優。 出生地は香川県、出身は三重県。オフィス・モレ所属。夫は俳優兼イラストレーターの唐橋充。
来歴
日出女子学園高等学校卒業、明治学院大学文学部英文学科中退。趣味は写真、特技はアクションと英語、マーシャルアーツを習っている。普通自動二輪免許所持。
女優として多くのテレビドラマなどに出演。アクション作品への出演を得意としており、立ち回りシーンも吹き替えなしで演じる。後年は、舞台・映画への出演や、執筆などに活動の中心を移す。
友達に誘われて行ったヤリイカ釣りをきっかけに釣りを趣味の一つとしており、イカ釣りの他ヒラメ釣りの経験もあるという。
生い立ち
血液型不適合妊娠により出生し、「生死の境をさまよった」。「自身の血液を半分抜き、そこに酒もタバコもやらないB型の健康な20歳前後の人の血液を輸血しなくてはならない状況」となったが、町内の輸血の呼びかけに100人ほどが集まり、うち2人の男性の血液がその条件に合うと判明、その結果、心臓が強かったことが幸いし、奇跡的に一命を取り留めたのだという。当時医師には、「6歳までは脳に障害が出ることもあるので安心できない」と言われたが、大病することなく成人し、輸血をしてくれた男性の1人には、その後直接お礼を言いに行っている。2011年6月7日に高松市で行われた映画『花子の日記』PRイベントでもこのことに触れ、祖父母が今も高松市在住であり、幼少の頃から女木島で海水浴を楽しむなど、現在でも縁の深い場所だと述べている。小学校5年生まで[いつから?]三重県四日市市で過ごした後、小学校6年生の春に福岡県福岡市城南区に転居し、中学卒業までそこに住んでいた。小学6年生の時に漫画『ガラスの仮面』を読んで、舞台に憧れるようになった。作品に描かれた舞台の持つ華やかさとその背後にある厳しさの両方に惹かれたという。また、小学校6年生から中学1年生までの2年間ほど、友人の父親の道場で少林寺拳法を習っていた。その経験があったので上京後も倉田アクションクラブに通って本格的にアクションの修行を積み、アクション女優としての仕事もするようになった。
芸能活動
1987年、中学1年生の時に『第2回東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト』に出場し、準優勝。同オーディションがきっかけで俳優・大野しげひさが社長を務める芸能事務所のグリーンプロモーションにスカウトされ、芸能活動を開始。当初は地元の福岡から通いながら雑誌のモデルやCMに出演していたが、中学卒業と同時に上京し、本格的にキャリアをスタートさせる。1992年、化粧品『コーセールシェリ』のCMに俳優・唐沢寿明と共演、「チューして」という台詞が話題を呼ぶ。このCMの撮影の際、事務所は実際のキスシーンがあることは知らされておらず、CMスタッフは初めから事後承諾で押し切るつもりだったようである。これについては後年、「現場に入るとスタッフがみんな薄ら笑いを浮かべていて、詳細を知らされ驚いたがとりあえずそのまま撮影に臨み、後で事務所に怒られた」と述懐している。また同年、「素敵な身勝手/瞬間KISS」で歌手デビューも果たした。
1992年6月1日より、スーパーファミコンソフト『ストリートファイターII』のCMに春麗役として出演する。ロケーション場所はアメリカのデスバレーやダウンタウンであり、時期に暴動の起こっていた所と重なった影響で中々撮影許可が下りなかったようである。「街はビリビリした雰囲気で、私や他のスタッフも気合が入り過ぎちゃったようですね」と述べている。歌手デビューも決まり、歌に芝居にと意欲的に活動していた。1993年、HIPPONSUPER!編「ストリートファイターIIターボのすべて」の表紙を飾った。
1994年、グリーンプロモーションの閉鎖に伴い、芸能事務所をバーニングプロダクションに移籍。その後はゴールデンタイムのテレビドラマにも出演するようになり、1997年放送のドラマ『踊る大捜査線』シリーズに柏木雪乃役で出演し、幅広い世代に認知された。2001年に『女子アナ。』で連続ドラマ初主演を果たして以降は順調に女優としての地位を確立していく。
2005年、バーニングプロダクションから独立し、個人事務所オフィス・モレを設立。同年12月1日に『628DRIVE水野美紀オフィシャルサイト』を開設、名称の「628」は水野の誕生日にちなんだもの。
2007年、演劇ユニット『プロペラ犬』を、作家楠野一郎との共同主宰によって設立した。また同年には自身がデザイナーを務めるブランド、『サード・ファクトリー(ThirdFactory)」を始め、以降、カバンを中心に作品を発表し続けている。2009年秋には、『コースト・オブ・ユートピアユートピアの岸へ』に出演。初めての蜷川幸雄演出・翻訳劇・シアターコクーン出演となった。
2011年公開の映画『恋の罪』では初のフルヌードシーンに挑戦している。本人曰く、「これまでのイメージを覆したかった」。
2016年6月に俳優兼イラストレーターの唐橋充と結婚していたことが、同年10月に報じられた。同年12月には第1子妊娠との報道がなされ、2017年3月3日に放送されたドラマ『奪い愛、冬』(テレビ朝日)最終回の副音声の中では、本人が妊娠を認める発言をしている。同年7月26日、インスタグラムを通じて、第1子出産を報告した。出産は「和室で紐を引っ張りながら産む方法」を選んだことを後に明かしている。